船上で培った友情:5回連続クルーズを楽しんだ2人の友人
キュナードの180年にわたる航海
銀幕のスターを迎えたり、第二次世界大戦中には兵士の輸送を行うなど、キュナード180年の歴史は、機械のなせる偉業、英雄的な行為、そして洋上での世界初の歴史的出来事などが織りなす、壮大な物語と言えるでしょう。このページでは、キュナードの過去を形作り、未来にインスピレーションを与え続ける特別な過去の出来事についてご紹介いたします。
キュナードの歴史
1840:すべての始まり
1840年、ノバ・スコシア州ハリファックス出身で、当時退役軍人で木材商を営んでいたサミュエル・キュナードが、キュナードラインを設立しました。彼の船は、この地域で初の蒸気機関を動力とするフェリーでした。設立以降数年の間に、キュナードは蒸気海運に乗り出し、プリンス・エドワード島やその海岸沿い、そして後に大西洋を横断する郵便サービスを提供するようになりました。毎日新鮮な牛乳を確保するために船上では牛が飼われ、クルーズの最終日には食用に処理されていました。1840年代、チャールズ・ディケンズはキュナードの船でボストンに渡りました。1840年7月には、ブリタニアによるキュナード初の大西洋横断が行われました。
1850~1880:企業の成長
その後の数十年で、国際輸送におけるキュナードの地位は確固たるものとなり、また、歴史にその名を残すこととなりました。1850年代、クリミア戦争における軽騎兵旅団の突撃への支援で、馬を運ぶためにキュナード船が使用されました。1860年代、マーク・トウェインはキュナード船で航海し、船長の能力を称えました。
1870年、キュナードは洋上初の水洗トイレを導入、お客様や乗組員に大変歓迎されました。1880年代、アメリカ大量移民の時代には、全移民250万人のうち100万人以上がキュナード船で海を渡りました。この間、キュナードのセルビア(下の写真2枚目)が就航しました。この船は電気照明を備えた初の鋼鉄船でした。
1890~1900:最先端のテクノロジー
20世紀初頭はキュナードが全速で前進していた時代です。キュナード船は「海に浮かぶ宮殿」として宣伝され、ザ・リッツなどの豪華な施設とデザインの特徴を共有していました。2隻の大型高速豪華客船、ルシタニアとモーリタニア(下の写真3枚目)が就航し、画期的な蒸気機関が最高速度を上げました。また、1897年には、マルコーニによってキュナード船から海岸に史上初の無線通信が行われました。
1910年代~1940年代:安心と安全を備えたヒーロー
4基の煙突が設置され、動力と安全がもたらされたのはこの時代です。多くの船が4基の煙突を持つ人気の形状を採用していましたが、実は3基の煙突の船に形だけの煙突を足しただけのものも多くありました。しかし、クルーズ業界は安全性について学ぶべきことがまだたくさんありました。1912年、タイタニックが沈んだ際には、キュナードのカルパチアが現場に向かい、生存者を救出しました。この痛ましい事件以降、クルーズ船の安全性は一変しました。
第一次世界大戦では、キュナードのルシタニアを含む20隻の船がアイルランド沖で失われました。1922年、ラコニアは最初の世界一周に出発しました。それ以来、キュナードのワールド・ボヤージには、他のどの客船よりも多くのお客様が乗船されています。そして130日後、ラコニアは世界一周のクルーズを終えました。
1934年、ホワイトスターとキュナードが合併しました。クイーン・メリーの就航は世界恐慌の象徴となり、大西洋横断最速のブルーリボン賞を受賞しました。
第二次世界大戦中は、何千人もの兵士がキュナードによって運ばれました。ウィンストン・チャーチルは、クイーン・メリーとクイーン・エリザベスのおかげで戦争が1年短縮されたと述べています。
1950年代と1960年代:舞台や映画スターの乗船
1950年代には、ハリウッドの巨匠や銀幕のスターたちが、キュナードの大西洋横断に乗船し、象徴的存在となりました。リタ・ヘイワース、ジュディ・ガーランド(写真)、ヴェラ・リン、サー・ノエル・カワード、そしてウォルト・ディズニーがお客様として乗船しました。1960年代、空の旅の増加に伴い、キュナードの大西洋横断クルーズの販売戦略が「現地に着くまでが楽しみの半分」から「サン・ハンティングに出かけよう」に変更、さらに60年代後半には期待のクイーン・エリザベス 2も就航して、この10年間は最高潮のうちに幕を閉じました。クイーン・エリザベス 2は、39年間で804万km以上を航海しました。
1980年代:伝統を引き継ぎさらなる進化
1980年代はクイーン・エリザベス 2の時代でした。この象徴的な船は、作曲家マイク・オールドフィールドによる新しいスタジオ・アルバムで普及の名声を与えられ、「究極のパッケージ」と銘打ったコンコルドとのフライ&クルーズ・パッケージが登場しました。1982年、クイーン・エリザベス 2は、3,000人の兵士を乗せてフォークランド諸島(写真)に向かいました。その後、就航から約20年後の1986年には蒸気機関を9基のディーゼル機関に交換。このディーゼル機関の大きさは、2階建てバスに相当するものでした。
1990年代:カーニバル・ファミリーに参加
1990年代、キュナードは英国ポップミュージック界の伝説的存在であるロッド・スチュワートやデビッド・ボウイをはじめ、多くの有名人をお客様としてお迎えしました。マペットもまた、注目を集めたお客様の1人でした。ミレニアム近づき、新世紀の幕開けが間近に迫った1999年、キュナードは正式にカーニバル・グループの一員となり、過去最高の10年間を締めくくることになりました。
2000年代~現在:明るい未来への航海
2004年にはクイーン・メリー 2が、2007年にはクイーン・ヴィクトリアがキュナードの客船に加わる一方で、クイーン・エリザベス 2は最後の船旅を迎え、2008年に引退しました。
2016年には300回目の大西洋横断が行われ、大西洋横断ファッション・ウィークが初めて開催されました。2019年には初めて女性キャプテンが任命され、新造船の発表と鉄鋼切断式が行われました。
2020年、新型コロナウイルスの感染拡大により世界が新しい生活スタイルに順応する中、キュナードは180周年を迎えました。キュナード船は一時的に運休していましたが、キュナードの新造船、クイーン・アンの2024年就航に向けた建造は続いていました。
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