敬愛する女王陛下との最後のお別れ

アナウンサーにして王室記者のキャロライン・アストン氏は、女王陛下崩御のニュースが世界中に流れたとき、キュナード船に乗船していました。キュナードと女王陛下のつながりに関する彼女の考察をご案内いたします。

新しい船が進水するときの胸がどきどきするような瞬間を私たちは何度目撃したことでしょう。通常はシャンパンの洗礼を受け、新しく作られた船首に誇らしげに名前が刻まれた海の巨人たちは、水の中へ、そして歴史の中で、その航海を始めます。そしてキュナードの女王船の場合、その命名式には王族の方々が臨席されることが多く、その中でも最も注目すべき人物は、最近崩御された、人々に深く愛された君主エリザベス二世陛下です。

1938年に祖父母君であるジョージ五世国王とメアリー王妃とともに初代クイーン・エリザベスの進水式にご臨席されたとき、陛下はまだ12歳でした。これは、女王陛下がお立会いになった3回にわたるクイーン・エリザベス命名式の最初のものとなりました。彼女は1967年9月に象徴的なクイーン・エリザベス 2の、2010年に現在のクイーン・エリザベスの進水式にもご臨席になっておられます。2004年に陛下は、祖母君の名前を冠した有名な大西洋横断客船であるフラッグシップのクイーン・メリー 2の命名も行っています。

陛下が洋上での生活を楽しんでいらっしゃったのは疑いの余地がありません。1947年初頭の南アフリカへの旅のニュース映像には、当時のエリザベス王女が、今日でも多くの乗客がそうするように、デッキゲームをお楽しみになる様子が記録されています。その旅行中に陛下は21歳の誕生日を迎えられました。彼女はその日、「私の生涯が長かろうと短かろうと、そのすべてを皆さんのために捧げる」と全世界に向けて発信されたのです。陛下はその誓いを文字どおり守り、国家元首としての役割において、陸と海を何百万kmも旅されました。1997年に陛下が愛されたロイヤル・ヨット、ブリタニアが引退。1600年代のチャールズ二世時代以来続く王室のヨットの長い伝統に終止符が打たれるのを見たときに、陛下の目から流れた涙を誰が忘れられるでしょう。海に浮かぶ我が家のような船上での楽しい時間や、英国海軍で功績を残したご夫君のフィリップ殿下とお過ごしになられた時間について、陛下はどんな思い出を抱かれたことでしょうか。

1901年に彼女の曾祖母君ヴィクトリア女王陛下が崩御されたとき、堂々たる船がゆっくりと沈み、最後には視界から消えていくのを目撃しているようだと評した人がいました。エリザベス二世女王陛下は私たちの前からお姿を消されたかもしれません。しかし、私たちの心に永遠に留まられていることは間違いありません。

君主であり、母であり、祖母であり、曽祖母でもある女王陛下は、どんなときでも、良いときも悪いときでも女王として君臨し、国民の注目の的でありました。陛下を失ったことを国民は深く悲しんでいます。栄光に満ちた女王陛下は、彼女の70年を超える長い治世の間にまさに彼女のためのものであった国歌の言葉を響かせながら、長く見事に君臨なさいました。

世界は偉大な女王陛下に敬意を表しており、キュナードは、最期までその身を捧げて義務を果たされた陛下の人生にふさわしい記念として、陛下の名が女王船の1隻に刻まれていることを誇りに思っています。

キュナードとエリザベス二世女王陛下とのつながり

エリザベス王女陛下のご訪問

1938年9月、12歳のエリザベス王女殿下、キュナード式典にご臨席。その後数多くの式典にご臨席いただくこととなります。

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QE2にご乗船になるエリザベス二世陛下

1967年にキュナードを象徴する船の1つ、クイーン・エリザベス 2のクライドバンクにおける進水式の後、女王陛下は処女航海に出る前のご自身の名を冠した船をご訪問されました。

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QM2の命名式にご出席されたエリザベス二世陛下

クイーン・エリザベス 2の命名式から37年後の2004年1月、エリザベス二世陛下はサウサンプトンでクイーン・メリー 2の命名式にご臨席なさいました。

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QEの命名式にご出席されたエリザベス二世陛下

2010年、エリザベス二世陛下は再びサウサンプトンを訪れ、クイーン・エリザベスの命名式にご臨席なさいました。これがキュナードにとって女王陛下にご臨席いただいた最後の命名式となりました。

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